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会社概要

ワン・トゥー・ワン コンサルティングの方針

  • 私たちはお客様の立場に立って、問題解決を目指します。
  • 私たちは実践可能な方法を提案します。
  • 私たちは素直な気持ちで向き合い、良いところを伸ばしていきます。
  • 私たちは感謝と思いやりの心を大切にします。
  • 私たちは常に学び、自らの成長に努めます。
  • 私たちは有能な人材の育成に努めます。
  • 私たちはスポーツ業界の発展につながる活動をします。

ワン・トゥー・ワン コンサルティングの目指すところ

初めて会った人に、よく言われます。「どうしてスポーツ店専門のコンサルタントになったのですか?」そんなニッチな市場で仕事はあるのか、という表情です。本当に不思議そうな顔をしています。先輩コンサルタントにも言われました。「商店を相手にしても、仕事は無いよ!」ご忠告ありがとうございます。だからこそ、私はスポーツ店専門のコンサルタントを始めたのです。

確かに、スポーツ用品業界は必ずしも好調とは言えません。中小のスポーツ店さんも、毎年減っていっています。このまま進んでいけば、スポーツマンがスポーツ用品を「正しく」買う店が無くなっていってしまいます。そして、スポーツ店さんが減れば、そこに商品を納める問屋さんも、仕事が無くなっていってしまいます。

それではいけません。日本のスポーツ用品業界を支えてきたのは、町の小さなスポーツ店さんです。スポーツ店さんは、それぞれのエリアで頑張っている何千万人というスポーツマンをサポートしています。そのスポーツ店さんが町から消えれば、誰がその役目をするのでしょう。このままほおっておいたら、私が33年間お世話になったスポーツ用品業界がおかしくなってしまうという危機感を持っています。
このことは、業界の多くの人が感じていることです。

60歳を前にして、決意。

だから、私は60歳を前にして、決意をしました。
 「スポーツ用品業界の革新を担う人材を、一人でも多く出したい」

それは、メーカーさんでも良いです。問屋さんでも良いのです。しかし、一番必要なのは消費者に一番近いところにいる、小売店さんの人材です。小売店さんが、スポーツマンを支える一番大きな受け皿になっているからです。その彼らが元気をなくしては、その役目を十分に果たすことができません。

そのために、私はスポーツ店専門の経営コンサルタントとして生きていくことにしました。私の力で、どれほどのことができるかは分かりません。今、スポーツ用品業界は思考停止の状態にあるように思います。好調だったころのやり方が、まだ忘れられないのかもしれません。

ところが、時代は変わっています。今までとは違った手法を取り入れなければ、取り残されていきます。売り方を変えていくべきです。メーカーさんや問屋さんに、その責任を負わせてはいけません。小売店さん自らが、変革することです。私はそのための人材が現れてきて欲しい、と思っています。

私の心からの願い、そして目指すところ

そして、まず私ができることは、既存のスポーツ店さんに一歩も二歩も前に進んでいただくことです。
そのためのサポートを懸命にしたいと思います。その先には、新しい姿のスポーツ店さんができるかもしれません。また、一方で、スポーツ用品業界に挑戦したいという意欲的な方のサポートもしたいと思っています。もしかしたら、斬新なスポーツ店が誕生するかもしれません。

いずれにしても、私はスポーツ店さんの経営サポートをすることで、業界を元気にし、平和で明るい社会づくりに貢献したいと思っています。これが私の心からの願いです。そして、私の目指すところです。

梅本泰則のプロフィール

大学卒業後、東海スポーツ用品(株)、(株)大沢商会、アキレス(株)などで営業を担当。その間、アルペン、ゼビオ、スポーツオーソリティをはじめ、1000社を超えるスポーツ店、メーカー、問屋と関わる。

2008年1月、出身地の名古屋で経営コンサルタント事務所を開業。
33年間お世話になったスポーツ用品業界に恩返しをしたいという思いで、スポーツ店さんを中心にコンサルティングを行っている。

2000万円の赤字に陥った老舗の経営を、たった1年で1000万円の黒字に転換したり、スポーツ用品業界未経験のショップを3年で1億円の規模にまで成長させたり、経営に行き詰まった店舗をインターネットの活用で復活させたり、多岐にわたる手法、ノウハウを駆使する。

[人柄]
問題の原因を探り、最も効果的な実践法を提案し、早期の成果につなげる提案力に定評がある一方、温和で、親しみのある人柄は、信頼感にもつながっている。

[執筆・セミナー]
月刊誌「商業界」への執筆や業界紙への執筆(中部経済新聞の連載、スポーツ産業新報連載)など、メディアへの投稿は多数。
開業以来発行を続けているメールマガジン「頑張れスポーツショップ。業績向上100のツボ」は熱心な読者を持ち、それを店舗経営に反映させてるお店も多い。

また、スポーツ店や起業家へのセミナーも毎月のように開催し、「時代を生き抜く3つのポイント」など、人気セミナーとなっている。

[資格・役職]
経営士
一般社団法人日本経営士会 中部支部長
日本スポーツ用品協同組合連合会 監事
あいち産業振興機構外部専門家

会社概要

商号 ワン・トゥー・ワンコンサルティング
代表 梅本 泰則 (うめもと やすのり)
事務所 現在業務を停止しておりますため非公開とさせていただきます。ご了承ください。
電話番号 現在お問い合わせ受付を停止しておりますため非公開とさせていただきます。ご了承ください。
相談・面談可能時間 現在業務を停止しております。
事業内容 ・経営コンサルティング
・営業活性化支援
・販売戦略策定支援
・経営計画策定支援
・新規出店支援
・店長、スタッフ育成支援

スポーツ店専門コンサルタントになった男の物語

私の起業の経緯ををご紹介したいと思います。

サラリーマン絶頂期、そして・・・

大学卒業後、最初に勤めたスポーツ用品の卸問屋では、私はやっかい者でした。そもそも、入社式に大遅刻をしてしまうことでも、仕事をなめていたことがわかります。ことあるごとに、会社の方針に反対したり、自分の主張をぶつけたりしていました。

そんな私ですから、会社は私を試そうとしたのでしょう。新規エリアの開拓や、新規事業の発足時には、いつもメンバーに選ばれます。私は試されているという意識もなく、メンバーに選ばれたことを喜んでいました。それが良かったかも知れません。結構、良い成果を出してしまうのです。

おかげで40歳のとき、新規に出来た海外事業部の責任者にもしてくれました。周りは「大変だな」と思っていたようですが、私はその仕事が楽しくてしょうがありません。そんなことで、会社の中では、そこそこ出世もしました。
この会社の社長になる気でもいたくらいです。絶頂期だったと言っていいでしょう。

ところが、世の中、そんなにうまくいくことばかりではありません。順調だったサラリーマン時代に、大きな転機が訪れました。47歳のときです。会社が倒産してしまいました。倒産の原因はいろいろありましたが、一番は当時の経営者を含めた社員の能力不足でしょう。妻には「大丈夫だ!すぐに次の仕事は見つかる!」と大見栄をきったものの、なかなか転職先が決まりません。転職先は、スポーツ用品の会社と決めていました。

転職時代

いろいろな会社に声をかけますが、採用されません。一か月を経過して、「もう駄目かな、別の業界で探しはじめよう」と思っていた時です。有名な貿易商社の役員さんから連絡がありました。話をしたい、ということです。
どうも私が従事していた海外事業に興味があったようです。話はとんとん拍子に進んで、その海外事業を引き継いでもらうことになりました。おまけに、海外事業に携わっていたメンバーも引き受けるということです。本当にラッキーでした。

結局私は、その会社に4年間お世話になることになります。この4年間は、私のビジネススキルを高めることが出来た、充実した期間でもありました。その後、私はこの会社の戦略変更に伴い、退職します。

次の転職先もスポーツ用品を扱っている大規模メーカーでした。もうすでに50歳を過ぎていましたから、会社の私への期待も大きかったに違いありません。それなのに、私は「守り」に入ってしまいました。相変わらず仕事は楽しかったです。しかし、3年後には、その会社を離れることになります。
この時は、転職先を探す気持にもなれず、失業手当で生活を続けることにしました。資格をとれば、何とかなるのではないかと思い、いくつかの試験を受けます。しかし、うまくいきませんでした。
とうとう、一年間の失業保険期間が終わってしまいます。そこで、地元の名古屋に帰ることにしました。将来の独立を見据えてのことです。それまでは、働き口を見つけなくてはなりません。
ハローワークに通う日々が続きます。人材紹介会社にお願いに行ったり、求人募集に応募しますが、さっぱりです。ところが、ここでも私はツイていました。一ヶ月後、運よく小規模のスポーツ用品メーカーに就職することが出来たのです。海外事業の責任者として採用されました。
2年間、この会社で働かせていただいた後、私は、とうとう独立開業をすることを決めました。

独立開業

そして、独立するときは経営コンサルタントで、とも決めていました。といっても、何の資格があるわけでもありません。行政機関による「創業塾」や「創業プラザ」で相談した結果、スポーツ店専門の経営コンサルタントになろう、と決めました。しかし、どうしたらコンサルタントの仕事が取れるか、さっぱり分かりません。

さまざまな勉強会や交流会に顔を出して、名刺を配りまくりました。とはいえ、そんなことで仕事が取れるほど、甘くはありません。私はふと気がつきました。スポーツ用品業界には、先輩コンサルタントN氏がいらっしゃいます。ワラをもつかむ思いで知人に頼み、N氏と引き合わせてもらったのです。
運よく相談にのっていただくことが出来ました。先輩コンサルタントN氏は、「コンサルタントで生きていくのは難しいよ」と言いながら、仕事を取る方法を教えてくれます。そして、私の窮状を見かねてでしょうか、大手スポーツ店の社員研修の仕事を紹介してくれるではありませんか。嬉しかったですね。

その後、N氏はいくつかお客さんを紹介してもくれます。おかげで、ようやく本格的なコンサルタントの仕事が始まりました。徐々に私のホームページやメルマガからも、問い合わせが入るようになってきます。
少しずつ、コンサルタントの仕事も増えていきました。とはいえ、まだ食べていけるだけの収入にはなりません。
昼間はコンサルタントの仕事を続けながら、朝夕はアルバイトに出る、という生活でした。
電車代がもったいないので、どこへ行くにも自転車です。開業後、2年間はそんな生活が続きます。

しかし、そうこうするうちに、相談件数も増え、顧問先も増えていきました。
セミナー講師として呼んでいただいたり、新聞や雑誌への執筆の仕事も来るようになります。
メルマガを出し続けたこと、セミナーや勉強会で人脈を増やし続けたことなど、地道な活動が実ってきたのかも知れません。おかげさまで、今でも、何とかコンサルタントの仕事を続けられています。
ありがたいことです。これが私のコンサルタントになるまでの経緯と、その後の話です。

しかし、私にとっては、まだ道の途中です。私には、達成したい夢があります。その夢を達成するために、多くの方の力が必要です。ですから、頑張ってこの道を歩んでいきます。
ところで、どうして「スポーツ店専門」のコンサルタントになったのでしょう。

コンサルタントを目指したきっかけ

もちろん、33年間スポーツ用品業界にいたことも、大きな要因です。しかし、それよりも何よりも、スポーツ店さんと関わっていたいと思ったからです。私は、仕事を通じて、何百というお店とお話をしてきました。
その間、さまざまな相談を受けました。そして、その相談に乗っている時が、本当に楽しかったのです。
そのきっかけは、Yスポーツさんではなかったかと思います。

Yスポーツの社長との体験が、私をコンサルタントの道へ運んでくれたと言って良いです。
それは、私が35歳の時です。東京の居酒屋で、人を介してY社長を紹介されました。
その日は、私が一方的に話をしたように記憶しています。
あくる日です。Y社長から、私にお店に来るように連絡がありました。新幹線で3時間のところです。

「わかりました」私は、駆けつけました。店舗運営の相談でした。
さいわい、改善するべきところはすぐわかりました。商品管理と陳列技術が問題です。
Y社長は、私の意見をとりいれて、すぐに陳列を変更します。
その結果、見違えるような売場になったのです。その時のY社長の喜びようは、今でも忘れません。
それ以来、商売上の相談があると、すぐにY社長から電話がかかってきます。
「今から店に来てほしい」また新幹線で3時間です。
私は、飛んでいきます。私の意見を待ってくれているのです。相談が終わると、本当に嬉しそうな顔をしてくれます。
そして、驚くような金額の注文をくれるではありませんか。商品を売り込まなくても、売上ができてしまうのです。これは、すごい経験でした。

コンサルタントとして独立

その後、私にはそんなスポーツショップが、いくつも出来てきました。Kスポーツ、Uスポーツ、Mスポーツ、Jスポーツ、思い出せば、ほんとうにたくさんあります。どのお店も、私の話や意見を気持ちよく受け入れてくれました。
夜を徹して話したことも、数多くあります。考えてみれば、この時、私が行ったことは、コンサルタントの仕事のようなものです。

私には、この時間がたまらなく心地よいものでした。ですから、いずれはこんな仕事で独立が出来ればと、思っていました。

ところが、気がついてみますと多くのスポーツ店さんに元気がありません。これはきっと、全国のスポーツ店さんを元気にすることが、私の役目に違いない、と思ったのです。そんな思いに駆られて、スポーツ店専門のコンサルタントとして独立をした、というワケです。独立当初は、周りの人たちからよく言われました。
「スポーツ店専門だって?そんな狭いところを狙っても、成功しないよ!そもそも、スポーツ業界は景気が悪すぎるよ!」私は、こう答えました。「だから、私はやるのです!」

そして今、はっきりと言えます。本当にスポーツ店専門のコンサルタントになって良かったです。コンサルティングをすると、お店が元気になって行きます。嬉しいことです。
ですから、今後も頑張ってスポーツショップの皆さんを元気にしたいと思っています。

そして、私にはさらなる夢があります。
何でしょうか?それは、優秀な人材を育てることです。スポーツ用品業界を変革していける人材を育てることです。どうしてそんなことを思うのでしょうか?

ある人との出会いと私の夢

これにも、理由があります。そのためには、一人の人物の話をしなくてはなりません。
その人に私が初めて会ったのは、入社面接の時です。社会に出て最初に勤めることになった、卸問屋の社長でした。

実は私がこの会社の入社試験を受けられたのは、親のコネです。もうすでに、正規の入社試験は終わっていました。
ですから、たった一人の入社試験です。面接は社長室で行われました。面接官は、社長と常務の二人。
「社長のSです」太い声でご自身の紹介をされます。私は、その眼光に圧倒されてしまいました。
恐ろしいくらいのオーラです。これが経営者というものなのか!20分くらいで面接は終わり、運よく、私はこの会社でお世話になることになりました。

それなのに、私はいい加減な社員でした。
しかも、上司に歯向かう「えらそうな奴」でした。実に扱いにくい社員だったのです。ですから、左へ右へ、西へ東へと人事異動で飛ばされます。それでも、私はこの会社が大好きでした。S社長がいたからです。
この会社は、業界では後発でした。ところが、どんどん先発の企業を追い越して行きます。
私が入社して5年もたったころには、全国でも有数な卸問屋に成長していました。
S社長の先を見る目、実行力、豊かな発想力が、会社をぐいぐいと引っ張って行きます。

業界でも出色の経営者として、存在感を示していました。「自分は、こんな経営者になれるのだろうか?」
そう思うと、私は、S社長のもとで仕事が出来ることが楽しくて仕方がありませんでした。
しかし、そんなS社長も、経営から身を引く時がやってきます。そして、その後S社長は突然亡くなってしまいます。
本当に私は悲しかったですし、残念でした。S社長は、常にスポーツ用品業界を改革しようとしていました。社内の教育にも熱心でした。S社長が生きておられれば、業界にどんな改善を加えられるのだろうかと、いつも考えています。私は、昨年、尊敬するS社長の墓前で誓いました。スポーツ店さんを応援して、世の中をもっと明るく元気にし、平和で活気のある社会にすることを。

そのために、私は、スポーツ用品業界を変革していける人材をたくさん出したい、と思っています。それが私の願いです。そして、それがS社長の遺志を少しでも継ぐことになると思っています。

しかし、それは一人の力で出来ることでもありません。仲間を増やして、協力していかねばなりません。私は、そのためにも、コンサルティング活動を続けていくことを決意しています。
どうか皆さま、ご支援のほど宜しくお願いいたします。

執筆実績

商業界2012年8月号
「日本の専門店白書2012 スポーツ用品」
商業界2010年12月号
「地域スポーツ用品店の活路」
スポーツ産業新報「儲かるスポーツショップになるノウハウ」
(2009年7月より連載中)
中部経済新聞「スポーツ店繁盛の法則」
(2007年9月~2008年6月 30回連載)
スポーツ産業新報 「ネットの活用は他業界に学べ」
(2008年1月)